昨日、些細なことで相方さんと喧嘩状態になった。それはそれで個々人がそれぞれの思いをもって生きてるんだから当然だしもちろん良いとは言わないけどマズイことだとも思わないけど、ただその原因部分の「些細な」が問題で、自分では些細だと思っている事が相手にとって「重要」だったりする場面っていうのは結構あるわけ。逆の場合ももちろんあって軽く流されてると「むっ…」と来る事もあるわけだけど、ウチはどうもその辺の感覚がゆるいようで、ムッと来ても結構流しちゃい気味。処世術として身についちゃったんだろうけどこれってあんまり良くないのかな?という悩みどころでもあり。仕事などでは役立つんだけどね〜。


で、今の相方さんとちょっと言い争い?になったのはこれまでまだ2回だけど両方のパターンで、ウチの中ではなぜそうなったのか核心部分が感覚として理解できていない。もちろん理屈としてはわかるはわかる事なんだけど感覚としてはわからないからいたい。


ただ、じゃあそれを解ろうとするのかと言うと、それは多分もう無理なんだよねぇ、やっぱり。人格の成されちゃった人間の根っこの方にあるそう言う価値観はもう、変えようがないと思う。(変わるには相当な洗脳作業みたいなものが必要か)ゴキブリがキモチ悪い虫だ!っていう刷り込みがもう覆せないのと同じ(たとえが悪い)くらいのものかも。


だから、結局最終的にちゃんと話をして
・相手がなんでそう思ったのかちゃんと理由を聞く(←できてない)
・なんでそういうことになったのか考える。
・そのときの自分の本当の部分をしゃべる(みっともなくても)
・これを踏まえてから、悪かったと思えば謝るし見直す。


っていうので良いのかな。ということになったと思ってます。これはもちろん相手によるわけだけど、これが出来る相手じゃないとウチじゃ拾いきれないのかな…と思ったりしてる次第。


まぁ、そういう話をし終わった後、こんなことでもちゃんと言い合える人がいるのって幸せなんだなぁ、とシミジミ思ったわけなのだ(笑